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東京地方裁判所 昭和46年(ワ)9275号 判決 1974年6月20日

原告

鈴木正一

原告

鈴木イチ

右原告両名訴訟代理人

坂根徳博

被告

右代表者

中村梅吉

右指定代理人

遠藤きみ

被告

東京都

右代表者

美濃部亮吉

右指定代理人

林四寿男

外三名

主文

1  被告東京都は、原告らそれぞれに対して、各二〇万円及び各内金一五万円に対する昭和四八年一月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  原告らの被告東京都に対するその余お請求を棄却する。

3  原告らの被告国に対する請求を棄却する。

4  訴訟費用は、原告らと被告東京都との間においては、原告らに生じた費用の三分の一を被告東京都の負担とし、その余は各自の負担とし、原告らと被告国との間においては全部原告らの負担とする。

5  この判決は、原告ら勝訴部分に限り、仮りに執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告ら(請求の趣旨)

1  被告らは各自、原告らそれぞれに対し、各一一六万円及び各内金一〇六万円に対する昭和四八年一月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  仮執行の宣言

二  被告ら(請求の趣旨に対する答弁)

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

3  担保を条件とする仮執行免脱の宣言(被告国のみ)

第二  当事者の主張

A  (昭和四六年(ワ)第九二七五号事件)

一  原告ら(請求原因)

1 (本件関係者)

(一) 原告鈴木正一は訴外亡鈴木正の父であり、原告鈴木イチはその母である。

(二) 警視庁世田谷警察署(以下世田谷署という。)には、署長、警視訴外原貞を長とする警察官が所属し、司法警察職員として、刑事訴訟法に基づき、刑事犯罪の捜査に当つている。

2 (交通事故の発生)

(一) 昭和四一年一二月二九日午前五時二一分ごろ、東京都世田谷区若林三丁目一番一五号先、環状七号線常盤橋陸橋立体交差本道付近において、環状七号線道路上を板橋方面から大森方面に向う南進車、すなわち訴外内田新治の運転する訴外同盟交通株式会社のタクシー(以下同盟タクシーという。)と、大森方面から板橋方面に向う北進車、すなわち訴外亡鈴木正の運転する自家用乗用車スバル(以下スバルという。)が激突する交通事故が発生した(以下この事故を本件事故という。)。

スバルにはその運転者鈴木正のほかに訴外亡須崎卓が同乗しており、本件事故により、いずれも即死した。同盟タクシーには、運転者内田新治のほかに乗客訴外橋本美津子が同乗しており、本件事故により、それぞれ負傷した。

(二) (本件事故の態様)

本件事故の態様は次のとおりである。

(1) 本件事故の現場は、環状七号線が、常盤橋陸橋の下をくぐり抜けるため下降し、上昇するトンネル道路状をなしている場所であり、右現場付近において、環状七号線は、大森方面から板橋方面へ向ういわゆる外回り線(以下単に外回り線という。)が二車線、その対向車線であるいわゆる内回り線(以下単に内回り線という。)が二車線の合計四車線に分かれている(以下、外回り線、内回り線のいずれについても、センターラインに接する車線を中央通行帯、外側の車線を道縁通行帯という。)。<中略>

3 (実況見分調書の虚偽記載)

(一) 本件事故発生後、直ちに世田谷署が、本件事故について内田新治および鈴木正に対する業務上過失致死傷被疑事件として立件し、捜査を開始した。右捜査に従事したのは、署長原貞と交通課長警部補栗田勝次郎ら世田谷署の警察官総員一四名である。

昭和四一年一二月二九日午前五時三〇分から午前七時四〇分までの間、世田谷署警部補栗田勝次郎および司法巡査後藤清(実況見分調書に補助者として押印した。)は、司法巡査斉藤吉次、同渡辺忠美の立会のもとで、本件事故現場の実況見分を実施し、実況見分調書(図面二葉添付。以下本件実況見分調書という。)を作成した。ところが、その実況見分調書および添付の図面のうち本件事故現場の状況を示す図面(以下本件実況見分図という。別紙図面のとおり。)には、次のとおりの虚偽の記載がある。

(二) (スバルのスリップ痕の不存在)<略>

第三  証拠<略>

記録中の書証、証人等目録記載のとおり。

理由

一請求原因1の本件関係者に関する事実については、当事者間に争いがない。

二(本件事故の発生)

環状七号線道路上を板橋方面から大森方面に向う南進車、すなわち内田新治の運転する同盟タクシーと大森方面から板橋方面に向う北進車、すなわち亡鈴木正の運転するスバルが、昭和四一年一二月二九日午前五時二一分ごろ、東京都世田谷区若林三丁目一番一五号先環状七号線常盤橋陸橋立体交差本道付近において、衝突し、スバルの運転者鈴木正、同乗者須崎卓がいずれも即死して、同盟タクシーの運転者内田新治、乗客橋本美津子がそれぞれ負傷したことは、当事者間に争いがない。

三(本件事故の態様)

1  本件は、世田谷署の警察官が本件事故につき作成された実況見分調書に虚偽の記載をなし、又誤つた事件の発表をしたことが問題とされているところ、この点に関して判断するには、まず前提問題として、本件事故の態様の確定が必要であるので、以下この点につき検討する。

2  (外形上明らかな事実)

(一)  (事故現場)

本件事故現場の概況に関する事実(請求原因2(二)(1))については、当事者間に争いがない。

(二)  (衝突終了時の両車の状況)

スバルと同盟タクシーの衝突が終了したときの状況は、スバルの左側面に同盟タクシーの前頭部が深く食い込みスバルが大破していたこと、同盟タクシーの停止位置は同盟タクシーの通行区分帯である内回り線のうちセンターライン寄りの中央通行帯内であることは、当事者間に争いがない。

そして、いずれも本件衝突終了後である当日午前五時三〇分から午前一〇時二〇分までの間スバルと同盟タクシーの状況を撮影した写真であることにつき<証拠>によれば、前記のとおり内回り線中央通行帯内に停止した同盟タクシーの車体は、センターラインに完全に平行に位置してはおらず、むしろセンターラインに対して若干の角度をもち、前頭部を通行方向に向つてやや左に傾けた状態に位置していたこと、同盟タクシーの前頭部をその左側面に食い込ませたスバルは、車体の左側面中央部付近を中心としてその破壊が著しく、スバルに加えられた力は、概ね左側面中央部付近に集中したこと、その前頭部および後尾部の破壊は必ずしも中心をなすものではなく、現に前頭部左端付近に存するヘッドライトはレンズが破壊されないまま残つていたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

(三)  (車体の付属物の飛散)

内回り線の道縁通行帯付近を中心として、スバルの車体の屋根の部分、バッテリー、ジャッキ、タイヤ、ゴム枠、帽子、ホイルベース、ボール等が飛散していたことは、当事者間に争いがない。そして<証拠>によれば、これらの車体の付属物の飛散位置は、別紙図面、すなわち本件実況見分図に表示したとおりであることが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

(四)  (同盟タクシーのスリップ痕)

同盟タクシーのスリップ痕として、内回り線の中央通行帯に14.4メートル(進行方向に向つて左側)と14.8メートル(同右側)の二条が残つていたことは、当事者間に争いがなく<証拠>によれば、右スリップ痕の始点は後記(六)で説明する常盤橋陸橋の下、道路の最低地点付近の外回り線道縁通行帯にあつた水たまりから直線で約四七メートル位の距離にあることが認められる(但し、甲第二一号証の二五の表示と異なり、スリップ痕はセンターラインと平行でないこと後述のとおりであるから、甲第二一号証の五の記載に基づいて導き出した約四七メートルなる距離は若干の幅を持たせなければならないであろう。)。

そして<証拠>により常盤橋陸橋中央やや西寄りから北方へ向けて本件事故現場を鳥瞰的に撮影した写真であることが認められる甲第二〇号証の三の一(その撮影日時は後述する。)によれば同盟交通株式会社の社員守屋賢司が本件事故現場を撮影した写真(これを図示すれば、別添写真図のおりである。)には、その位置及び形状から同盟タクシーのものであると認められるスリップ痕が撮影されており(別添写真図に(B)として表示する。)その状態を観察すれば、右スリップ痕は、センターラインに平行ではなく、その始点がセンターラインに近く、終点がセンターラインから遠ざかる位置にあつて、二条のスリップ痕の各後方への延長線は、それぞれ若干の角度をもつてセンターラインと交わる関係にあることが認められる(右認定に反する証人後藤清の証言は信用できない。)そして、右のスリップ痕の終点には、同盟タクシーの車体が停止していたのであるから、右スリップ痕のセンターラインに対する角度は同盟タクシーの停止時の車体のセンターラインに対する角度と一致することは当然である。

(五)  (ガラス破片、泥土)

<証拠>によれば、本件事故現場付近には、同盟タクシー及びスバルの車体から飛散したガラス破片が広範囲に落下していたが、とりわけ前記同盟タクシーの停止地点の北方、センターライン上に蓋を出しているマンホール(それは常盤橋陸橋の下、前記トンネル道路の最底地点から板橋方面に64.20メートル進行したセンターライン上の地点にある。右地点は、右トンネル道路の北口((右道路側壁の北端にある水銀灯を通過する直線がセンターラインと直角に交る点とする。))から逆に大森方面に進行すれば99.45メートルの距離に位置する。別添写真図に「マンホール」と表示する。)付近にガラス破片と泥土と認められるものが、比較的大量に二個所に亘つて落下していたこと、該落下物の二つの集団相互間の距離は約三、四メートルであること、落下地点は外回り線中央通行帯のセンターライン寄りであつたこと、本件事故の捜査に当つた世田谷署の警察官らは、実況見分にあたり、落下地点に白チョークで二個の不正規な円形を描いて、確認の印を付したことが認められ、右認定に反する証拠はない。

(六)  (水たまり)

<証拠>により昭和四四年三月九日原告ら訴訟代理人が環状七号線道路の本件事故現場を北進する状況を撮影した写真であることが認められる甲第二一号証の二八(ここでは、特にその⑫⑬)及び証人後藤清、同渡辺忠美の各証言を総合すれば、常盤橋陸橋の下、道路の最底地点付近の外回り線道縁通行帯の路肩に水たまりがあつたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

3  (自動車の走行状態)

(一)  (同盟タクシー)

<証拠>によれば、同盟タクシーは、衝突前、少くとも時速七〇キロメートル以上の速度で走行していたことが認められ<反証排斥>、更に前顕証拠によれば、同盟タクシーは衝突前、左右に大きくハンドルを切つた事実はないことが窺われるから(もし、同盟タクシーが左右に大きくハンドルを切つたとすれば、前記タクシーの走行速度から考えて、乗客の橋本美津子の身体も大きく左右に揺れたはずである。ところが、前顕証拠によれば、運転免許証を有し、自動車運転の経験を有し、かつ日頃自動車に乗るとき急制動の場合に備えて足を踏張る習慣をつけていた同女は、そのままの姿勢で衝突の衝撃を受けたというのであつて、このことは足の踏張りを崩すような左右の揺れがなかつたことを示すものといえよう。)、同盟タクシーは、衝突前のある時間、時速七〇キロメートルの速度で直進していたものと認められる。

ところで、前記2(二)(四)認定のとおり、同盟タクシーは衝突後前頭部を進行方向に向つてやや左に傾けた状態で停止し、その後方への延長線が若干の角度をもつてセンターラインと交わる関係にあり、その車体のセンターラインに対する関係も同一であつたのであるから、特別の事情がない限り、同盟タクシーの前記直進コースは、外回り線からセンターラインを越えて内回り線に復するコースであつたと推認するのが相当である。<証拠>によると、事故車両の各重量は、各二名の乗員の重量を加えると、同盟タクシーは約一、三六〇キログラム、スバルは約五二〇キログラムで、前者が圧倒的に重く、かつ、衝突時、スバルは重力の約一三〇倍位の衝撃力を受けたのに対し、同盟タクシーの受けた衝撃力は重力の約一〇倍位であつたというのであるから、想定として、衝突前内回り線をセンターライン平行に走行していた同盟タクシーが衝突の衝撃力によつて方向転換をし、前頭部を進行方向に向つて左に傾けて走行、停止したとみる余地はほとんどないとすべきである。

以上説明したところによれば、同盟タクシーは、本件衝突前、何らかの原因で自車の通行区分帯である内回り線からセンターラインを越えて外回り線内に侵入し、次いで内回り線に復すべく走行していたことが明らかである。

しからば、従前内回り線を走行していた同盟タクシーが、本件衝突前、何故センターラインを越えて外回り線内に侵入し、更に内回り線に復する方向で走行していたかについては必らずしも明らかでない。しかし、前顕甲第二一号証の五七によると、本件事故当時、同盟タクシーの運転者内田新治は運転歴は長かつたが、年齢五六歳であり、しかも、事故前日午前八時に就労してから事故当日午前五時二一分本件事故を惹起するまでの間、通算三時間程度の仮眠しかとつていなかつたことが認められるから、内田がトンネル北口に差しかかる前辺りから瞬間的な居眠状態となり、徐々に外回り線に出、これに気付いて内回り線に復しつつあつた可能性が充分考えられるところである。あるいは、<証拠>により昭和四四年三月九日原告ら訴訟代理人が環状七号線道路の本件事故現場付近を南進する状況を撮影した写真であることが認められる<証拠>によれば、環状七号線道路の本件現場付近は、平面的にみると、常盤橋陸橋下を屈曲点とする逆「く」の字形の緩いカーブを成し、立体的にみると、内回り線は常盤橋陸橋下まで下り勾配を成しているため、早朝車両の往来の少い時刻には、運転者の心理を、前記カーブを大廻りに、センターラインを越えて外回り線に侵入して走行する方向に導き易い地形であることが認められるので、内田新治がこのような心理に陥つてセンターラインを越えたとみる可能性もなしとしない。

(二)  (スバル)

<証拠>によれば、同盟タクシー運転者内田新治は、衝突前、対面から走行してくるスバルを約一四〇メートル前方において現認した時期があり、そのときスバルは、外回り線中央通行帯を直進していたこと、東京都公安条例により、本件事故現場付近の速度の最高限は、時速五〇キロメートルと定められていることが認められるから、本件衝突前スバルは、外回り線中央通行帯を、時速約五〇キロメートルの速度で直進していたと推認するのが相当である。とすると、何故、前述の衝突終了時の両車の接触状態から推察しうるようにスバルの左側面中央部分と同盟タクシーの前頭部とが激突する状態が発生したのか。右のような衝突が発生するには、外回り線中央通行帯を直進していたスバルがその左側面を同盟タクシーの前頭部に曝す位置になければならないことは明らかであり、そのためにはスバル自身が進行方向に向つて右方に転把したとみなければならない。問題は、スバルをして右方に転把せしめた原因如何であるが、この点は必らずしも明らかでない。

<証拠>によれば、亡鈴木正は前夜東京都品川区旗の台で友人らと忘年パーティを行い、なにがしかのアルコール飲料を飲み、事故当日は旗の台の友人宅で午前一時頃から三、四時間程度しか寝ておらず、午前五時過頃友人宅を発つたものであることが認められるが、亡鈴木正の飲酒量については先行訴訟事件における証人の供述を録取した甲第二二号証の四、六(成立につき当事者間に争いがない。)を採つて、同人は乾杯の時にビールに口をつけた程度であると認めるべきであるから、本件事故当時前夜のアルコールが残つていて、睡眠時間の僅少と相俟つて、同盟タクシーの動向と無関係に居眠運転を犯したと認めることは無理である。又、スバルが内回り線中央通行帯を進行していた以上、前認定の水たまりがスバルの運転操作に何らかの影響を与えるという蓋然性はさして大きくないとすべきである。本件において、もつとも自然に推論しうるのは、亡鈴木正が外回り線に侵入走向してくる同盟タクシーを発見し、狼狽して反対車線である内回り線に逃げてやり過すため右に転把して走行したという事態である。この場合、スバルとしては、左に転把して道縁通行帯に逃げるべきであつたということは一応首肯できるのであるが、突嵯の場合のこととて、同盟タクシーが更に深く外回り線に侵入して道縁通行帯にまで走行してくるものと判断して、道縁通行帯への回避を止めて、内回り線に逃げ込むのをよしとする考えがよぎつて、そのような行動に出たということもありうべからざることではない。

4  (衝突地点)

本件衝突地点が前記3(一)の同盟タクシーの走行経路(スリップ痕の後方延長線)上に位置することはいうまでもない。

ここで注目すべきは、前記マンホール付近に落下していたガラス破片と泥土の二つの集団である。証人後藤清の証言によれば、本件事故当日の午前一時三〇分ごろ発生した先行事故(この事故については後述する。)のあと、付近の現場はきれいに掃除されたことが認められ、更に前記2(五)認定のとおり、本件事故の捜査に当つた世田谷署の警察官らによつても、右ガラス破片と泥土は、確認の印が付されたのである。従つて、特段の事情がない限り、右ガラス破片と泥土の集団は、本件衝突によつて飛散落下してできたものと推認するのが相当である。そして、本件事故現場に広範囲に亘り、疎らに存在するガラス破片は、本件衝突によつて粉砕されたガラス片が八方に飛散したものであるが、前記ガラス破片と泥土の集団は、遠方から飛散してきたものではなく、至近距離から落下したものと考えざるを得ないから、右ガラス片等の集団の存する外回り線中央通行帯内の前記マンホール付近(以下単にマンホール付近という。)が本件衝突地点であると推認するのが相当である。

5  (むすび)

(一)  以上説明したところをあわせ考えると、本件事故は、センターラインを越えて、スバルの通行区分帯である外回り線中央通行帯に侵入した同盟タクシーが、自車の通行区分帯である内回り線に戻るべく、センターラインと若干の角度をもつて時速七〇キロメートル以上の速度で直進し、前記マンホール付近に達したところ、その付近で、対面から走行し、右に転把したスバルの前頭部左端から左側面中央にかけての部分に、前頭部を激突させる形で衝突し、同盟タクシーはスバルに食い込む形で、そのままセンターラインを越えて内回り線に復しつつ、前記スリップ痕を残しながらその終点においてようやく停止したものであると認められる。

(二)  原告は、本件衝突は二回の激突から成つていると主張する。その所論は傾聴すべきものは含むが、しかし、スバル及び同盟タクシーの破壊状況自体から二回の激突を推認したり、その他落下物の位置の関係からも一瞬間の出来事である衝突状況を克明に推認することは、いささか事実認定の域を逸脱するものであつて、原告の右の主張は採用できない。

(三)  (衝突地点の確定とスリップ痕の始点及び車体付属物の飛散状況との関係)

同盟タクシーのスリップ痕の始点は常盤橋陸橋の下、道路の最低地点付近の水たまりから直線で約四七メートル位の距離にあること(前記2(四))、スバルの車体から飛散した付属物の位置関係は別紙図面、すなわち本件実況見分図に表示したとおりであること(前記2(三))は前述したとおりであるから、結局右付属物は、内回り線内に属する右スリップ痕の始点の東側及びその南方に広く散乱していたこととなる。このことと当裁判所が、前記道路の最低地点から板橋方面(北方)に64.20メートル進行したセンターライン上のマンホール付近を衝突地点と認定したこととは何ら矛盾するものではない。けだし、本件事故は、時速七〇キロメートル以上の高速で走行していた同盟タクシーが重力の約一三〇倍位の衝撃力をもつてスバルに激突したものであるから、前記付属物などが同盟タクシーの進行方向に添つてかなり遠方へ飛散することは十分考えられるのであり、又すべての交通事故において、スリップ痕の始点が、必ずしも衝突地点を示すものではないことは多言を要しないところである。

(四)  (被告らの主張について)

被告らは、仮りに前記マンホール付近で衝突したものであれば、同盟タクシーのスリップ痕の始点までの間にスバルのスリップ痕又は擦過痕が何ら残つていないのは説明できない旨主張する。

なるほど<証拠>によるも、マンホールから同盟タクシーのスリップ痕の始点までの約一〇数メートルの間にスリップ痕又は擦過痕が付着していなかつたことが認められる。

しかし、前記認定のとおり、同盟タクシーは、秒速に換算すると約19.4メートルの高速で進行していたものであり、前記マンホール付近でスバルと激突してその速度が多少減じたとしても、スバルは同盟タクシーより相対的に軽量であるから(前記3(一)参照)、たとえ両車の衝突の角度を考慮に容れても、必ずしも同盟タクシーの速度を大はばに減少させる結果とならず、同盟タクシーは、衝突後も概ね時速四〇ないし五〇キロメートル程度の高速を保持していたものと推認するのが相当である。そして、時速四〇キロメートルを秒速に換算すれば、毎秒約11.11メートルの速度となるが、右の速度をもつてしても、マンホールからスリップ痕の始点までの距離を走行するのにわずか、一秒余しか要しないのであるから、衝突によつてスバルがはねとばされ、右時間中、スリップ痕又は擦過痕を残さない程度に地表に車体が接触しなかつたとみても必ずしも不自然ではない。従つて、マンホール付近から同盟タクシーのスリップ痕の始点までの路面上にスバルのスリップ痕又は擦過痕が存しないことは何ら奇異なことではない。

四(実況見分調書の虚偽記載の有無について)

1  本件実況見分調書(本件実況見分図を含む。)の作成に関する事実(請求原因3(一))は、虚偽記載があるとの点を除き、当事者間に争いがない。そして<証拠>を総合すると、警察官渡辺忠美が現場の状況を簡易な図面(原図又は下図<証拠>)にまとめて世田谷署に持ち帰り、同署において同人が右図面に基づき作図したのが別表図面のとおりの本件実況見分図であることが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない(<証拠>をもつて、本件実況見分調書にスバルのスリップ痕と表示された痕跡が実際にはなかつたのに、これがあつたように偽装するため後から作り出した図面であるとする原告らの主張は証拠の裏付けがない。)。

2  本件実況見分図を実況見分調書本文と合わせて、前記三の認定事実に照らして検討すると、(イ)本件衝突地点付近に存したガラス破片と泥土の集団については、全く記載がなく、又(ロ)同盟タクシーのスリップ痕が道路のセンターラインに平行に記載されているのは実際と合致しない。更に、(ハ)本件衝突地点を表示するに際し、同盟タクシーの通行区分帯内で前記水たまりから47.8メートルの地点で衝突したと記入していること、及び(ニ)右表示された衝突地点に向かつて、スバルの通行区分帯からセンターラインを越えてスバルのスリップ痕が存した旨の表示は、いずれも、実際と合致しないことは明らかである。

3  (スバルのスリップ痕の記載について)

ここで、本件実況見分図上のスバルのスリップ痕が何故記載されるに至つたかを考察する。

(一)(1)  本件衝突地点は本件実況見分図に表示された衝突地点とは異るものであり、本件事故の態様からすると、本件実況見分図に表示されたスバルのスリップ痕は存在するはずがなかつたものである。ところが、<証拠>によれば、本件実況見分図の当該位置に何らかのスリップ痕らしきものが存し、本件実況見分図の原図を作成した警察官渡辺忠美、本件実況見分調書を作成した交通課長警部補栗山勝次郎、補助者司法巡査後藤清らはそれをスバルのスリップ痕であると判断したことが認められる。<証拠>によると、先行訴訟事件における証人として栗田はスバルのスリップ痕はなかつた旨、後藤はスリップ痕があつたかなかつたか思い出せない旨陳述していることが認められるが、本件実況見分調書に明記されているスリップ痕を「なかつた。」あるいは「思い出せない。」とする重大な証言に対し深く追求がなされた末の証言であることが調書上窺えないところからすると、今日、該証言の記載にどの程度信を措くべきか疑義があり、従つて<証拠>の証言の記載をもつて前認定を左右することはできない。

(2)  <証拠>を総合すれば、環状七号線は、通常車の通行量の非常に多い幹線道路であり、本件事故の発生した現場付近の路面には常時多数のスリップ痕、タイヤ痕が残留されているものであつて、中にはセンターラインを越えてスリップ痕がついていることもあること、本件事故当日の午前一時三〇分ごろ環状七号線常盤橋陸橋立体交差本道において、板橋方面から大森方面へ向う南進車、すなわち訴外西朝男の運転する国際タクシーの自動車と、大森方面から板橋方面へ向う北進車、すなわち訴外浜田雄毅の運転する自家用乗用車とが衝突する交通事故が発生したこと、その事故の主な原因は、北進車が、センターラインを越えて、南進車の通行区分帯内に侵入したためであつたこと(以下、この事故を先行事故という。)、北進車のスリップ痕とされた痕跡は外回り線中央通行帯から内回り線中央通行帯にかけて、長さ8.65メートル(但し、実況見分調書上左右の区別なく、一本の線で記載されている。)、センターラインを越える形で残つていたこと、先行事故の衝突地点は、前記水たまりから北方、直線距離にして49.8メートルの内回り線中央通行帯に位置していたことが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

そして、先行事故の実況見分図(<証拠>)と本件実況見分図を<証拠>(原告訴訟代理人作成の道路全体測量図)をも合わせて、対照すると、先行事故及び本件事件の各衝突地点とされた地点は、前記水たまり及び近接する両側の水銀灯からの距離関係においてきわめて近接し、水たまりからの直線距離は、先行事故が49.8メートル、本件事故が47.80メートルとされており、水たまりからの各距離には約二メートルの差違があるが、それは衝突地点と判断された各地点の位置の差違であるから、両個の実況見分図上の外回り線進行車両の各スリップ痕そのものはきわめて近接して位置する関係にあるものとみるべく、又外回り線中央通行帯からセンターラインを越えて各衝突地点に至る形状も酷似することは両個の図面を対照すれば明瞭である。

(3)  同盟交通株式会社の社員守屋賢司が本件事故現場付近を撮影した写真である前顕甲第二〇号証の三の一の写真には、外回り線からセンターラインを越えて、内回り線の本件同盟タクシーのスリップ痕(B)の終点付近に達するスリップ痕(A)が写つているが(別添写真図のとおり)、スリップ痕(A)が先行事故の浜田車のスリップ痕とされた痕跡であると考えることはできない。けだし、もし、スリップ痕(A)が浜田車のそれであるとすると、先行事故の衝突地点は、本件同盟タクシーのスリップ痕の終点付近であることになり、弁論の全趣旨によると、水たまりから該衝突地点までは、わずかに二〇数メートル位にすぎないから、先行事故の実況見分図において示されている水たまりから衝突地点までの距離49.8メートルと相容れないこととなるからである<証拠>によれば、先行事故、本件事故ともに、実況見分の際に関係者にとつて、水たまりからの距離は重要な指標と意識されていたことが認められるのであり、先行事故の実況見分図の水たまりから衝突地点までの距離49.8メートルは相当に信憑性の高い数値である。)。スリップ痕(A)は、先行事故及び本件事故ともに関係のないものであると認めるべきである。

(4)  更に前顕甲第二〇号証の三の一には、先行事件の実況見分図に浜田車のスリップ痕と表示されたものの影像を明瞭には看取できない。

しかし前顕甲第二二号証の九には先行訴訟事件における証人守屋賢司の証言として、右甲第二〇号証の三の一(先行訴訟事件の乙第三号証の一)の写真は事故当日の「昼前」に自分が撮つた旨の記載が存するが環状七号線道路は本件事故現場付近においてほぼ真北を向いていることは当裁判所に顕著な事実であり、このことと右甲第二〇号証の三の一に写つている側壁上の街路灯(前顕甲第二一号証の三一によると、それは常盤橋陸橋から北方に向つて一番目の西側側壁上の街路灯である。)の影が別添写真図のとおりおおむね北東方向に長く伸びていることをあわせ考えると、右甲第二〇号証の三の一は事故当日の午後もかなり廻つた時刻に撮影されたものと認めるべきであり、右認定を左右するに足る証拠はない。叙上のような甲第二〇号証の三の一の撮影時刻が本件事故発生時刻から遠去つていることと浜田車の痕跡があつたとされた位置が撮影位置から相当に遠距離にあること及び写真という影像技術からくる一般的制約を考慮に容れると、甲第二〇号証の三の一に影像として写つていないからといつて、客観的にも前記痕跡が不存在であると断定するのはすこぶる躊躇されるところである。あるいは、先行事故の浜田車のスリップ痕とされたものは、実は、単なるタイヤ痕であつて、甲第二〇号証の三の一の撮影時刻には既に消失していた可能性もあるといえる。証人栗田勝次郎の証言によれば、世田谷署員が、タイヤ痕とスリップ痕の差異を必ずしも厳格に使いわけておらず、それらの総称としてスリップ痕という名称を用いていたことが窺われ、このことは前記判断の支えとなるものである。

(5)  以上によれば、本件実況見分図の作成者らがスバルのスリップ痕と認識したものは、先行事故の浜田雄毅運転の自家用乗用車のつけたスリップ痕とされた痕跡であると推認することができるものである。

(二)(1)  <証拠>によると、先行事件の実況見分は、本件実況見分の補助者である警察官後藤清が主宰し、その補助者である警察官渡辺忠美は、本件実況見分の立会人となつていたことが認められるから、先行事件の態様を熟知しているはずの者が本件実況見分を補助し、又これに立会つた関係にあるのであるが、そうであるからといつて、本件実況見分調書の作成者らが先行事故において浜田車のスリップ痕とされたものを本件事故のスバルのスリップ痕と見誤つた旨の前認定を妨げるものではない。

(2)  更に<証拠>によると、先行事故の実況見分調書上、スリップ痕とされた痕跡は、国際タクシー、浜田車ともそれぞれ一条の線で表示されていることが認められるが、両車両が偶然にも共に一条の痕跡しか残さない車両構造上の事由が存したとか、そのような事故の態様であつた等特段の事情が認められない限り、右実況見分調書の表示は両車とも二条の痕跡を残したのを図面上略記したものと認めるほかなく、従つて本件実況見分調書の作成者らが一条しかなかつた先行事件の浜田車の痕跡を故ら二条の本件スバルのスリップ痕に仕立て上げた等の推論を試みることの許されないことはいうまでもない。

(三)  仮りに本件実況見分図の作成者らが、見誤つたスリップ痕が浜田車のそれではないとしても、前述のとおり、環状七号線の本件事故現場付近には常時多数のスリップ痕が付着していたのであるから、右作成者らが見誤つた当該位置に何らかの原因でつけられたセンターラインを越えるスリップ痕あるいはタイヤ痕が存したものと推認することができる。

4  (警察官らの故意について)

原告は、本件実況見分調書の作成に関与した警察官ら(一四名)は、故意にスバルのセンターラインオーバーの事故であるかの如き調書を作成したと主張する。しかし、本件実況見分調書に誤つた記載が存することは前述のとおりであるが、右記載が警察官らの故意によるものであることは、証拠上これを肯認することができない。

<証拠>によれば、世田谷署長作成の内田新治に対する事件送致書の犯罪事実の記載中に、内田が注意義務を怠り、「前記速度で運転し、センターラインを超えて、前方に出て、鈴木正、十七歳の運転する車を、前方七米の地点で発見云々」とした部分が存することが認められ、これを文字どおり読むと同盟タクシーがセンターラインを越えたと認定したもののように理解されるが、右記載を根拠にして、警察官が、実際は、同盟タクシーのセンタレラインオーバーという心証をもつていたにかかわらず、故ら、スバルのセンターラインオーバーであると、事実に反して、実況見分調書に記載したとすることはできない。けだし、右事件送致書の犯罪の情状等に関する意見中には、「本件は、相手車両の運転者、鈴木正、十七歳がセンターラインを急に超えて出たため、発生したもの」で、相手方の過失が認められ、被疑者(すなわち、内田)の過失はきわめて僅少と認められる云々」と記載されていて、警察官の認定の大筋は同盟タクシーの過失を僅少とみているのであるから、前記犯罪事実の記載中、「センターラインを超えて、前方に出て、」とある部分は「センターラインを超えて、前方に出た」の誤記とみるのが素直な見方だからである。

原告の主張の最大の根拠は、本件実況見分図に記載されたスバルのスリップ痕は、実際に存しなつたという点にある。しかし、前記認定のとおり、スバルのスリップ痕ではないが、先行事故の浜田車のスリップ痕ないしタイヤ痕あるいは他の車両によるスリップ痕もしくはタイヤ痕が存在し、それを作成者らがスバルのスリップ痕と誤認したものであるから、故意を云々する余地はない。

又原告は虚偽記載を故意に行つた動機として、同盟交通株式会社から大規模な贈賄が行われた旨主張するが、本件全証拠によるも右主張事実を認めることはできない。<証拠>を総合すると、本件事故当日、直ちに実施された実況見分の結果、捜査官の見解では、本件事故の原因は、スバルがセンターラインを越えて同盟タクシーの通行区分帯に侵入した一方的な過失によるものであるとの点で一致しており、その当日、交通課長栗田勝次郎が新聞やテレビの報道関係者に対し、右の捜査官の見解を発表して(右発表の点は当事者間に争いがない。)、その当日のテレビあるいは翌朝の新聞に公表されたことが認められる。とすると、本件事故発生から、公表まで、さして時間が経過していないことは容易に推認されるのであり、その間に、同盟交通株式会社から贈賄の意向が伝えられ、直ちに本件実況見分調書に虚偽の記載をすることが決定されてそれが実行されたと考えることは、事の重大さ及び事故後の関係者における混乱と多忙等を考慮すれば、到底常識に合つた推論ということはできない。

5  (作成者らの過失について)

刑事事件の捜査官は、実況見分にあたつては、現場の状況事実を適確に把握するとともに、事件の主体及び罪体についての判断を形成するについては、事実の意味につき十分な検討を加え、総合的かつ客観的に判断をなすべきは当然であり、そのようにして適確に認識され、形成された事実及び判断を正しく実況見分調書に録取することも職務上当然に要請されるところである。

そこで、本件について検討すると、同盟タクシーの車体が最終的に停止した状態における同盟タクシーの車体及びスリップ痕がセンターラインと若干の角度を有していたことは、捜査官として感得し得ないものではなく、右スリップ痕の後方マンホール付近には、本件事故の衝突によつて生じたガラス破片と泥土の集団が存し、捜査官ら自身右ガラス破片等が本件事故と関係あるものと認識していたのであるから、本件衝突がマンホール付近において発生したものであること及び同盟タクシーが衝突前外回り線の中央通行帯に侵入して走行していたことの蓋然性判断をさして無理なく導き出せたはずである。ところが、実際には、本件実況見分調書の作成者らは、同盟タクシーの車体及びスリップ痕とセンターラインとの位置関係を見定めず、ガラス破片及び泥土の集団が意味するところを看過し、同盟タクシーのスリップ痕の始点付近にセンターラインを越えるスリップ痕あるいはタイヤ痕が存したのを見て、直ちにそれをスバルのスリップ痕であると軽信し、同盟タクシーのスリップ痕の始点付近を衝突地点であると誤解し、本件事故がスバルのセンターラインオーバーの過失に基因するものと結論したものであつて、事実認識及び判断形成の双面に亘る過誤があつたものとしなければならない(以下単に判断の誤りという。)。そして、この判断の誤りがそのまま本件実況見分調書に表明されるに至つたことは先に右調書の記載の誤りとして指摘したところに徴して明らかである。

もつとも、<証拠>によると、本件実況見分調書の作成された昭和四一年一二月二九日、世田谷署の警察官は本件現場の実況見分のほか、これに付随して現場保存の写真撮影を行い、又鈴木正、須崎卓と前夜忘年パーティを行つた友人達及びその関係者六名の供述の録取、屍体の検視、内田新治及び橋本美津子の診断書の徴取等かなり多端な捜査を行つていることが認められる。このうちスバルのセンターラインオーバーによる事故という判断の形成に直接寄与したと目されるのは、忘年パーティの友人達及びその関係者六名の供述中に現われた鈴木正の睡眠時間、前夜の飲酒量に関する部分とおもわれるが、これとても、本件実況見分調書の作成者らが適確に現場の状況事実を把握し、その意味するところを吟味したならば、それほど大きな評価を与えなくてもよい事柄であることが判明するはずである。従つて、本件実況見分調書の作成者らが前記供述調書に接したということは、前記判断の誤りがあつたとする非難を阻却するものではないとすべきである。

五(報道機関への発表)

1  本件事故当日、世田谷署交通課長栗田勝次郎が、新聞やテレビの報道関係者に対し、本件事故は、スバルがセンターラインを越えて同盟タクシーの通行区分帯に侵入した一方的過失によつて生じたものである旨発表し、当日のテレビ放送と翌朝の新聞にその旨公表されたことは前述のとおりである。

2  (栗田勝次郎の故意過失について)

原告らは、交通課長栗田勝次郎の前記の誤つた事件の発表によつて名誉を毀損された旨主張するが、右発表が、故意になされたものであることを認めるに足りる証拠はない。

そこで、右公表につき過失が存したか否か検討する。

刑事事件の発生及びその内容の如何は公共の利害に関することがらであり、刑事事件の捜査を行う警察官が、新聞、テレビ等の報道関係者に事件の発表を行うことは、もつぱら公益を図る目的に出たものと認めるべきである。しかし、発表された事実が真実であることの証明がなく、しかも行為者においてその事実を真実であると信ずるについて相当の理由もない場合には、名誉毀損につき過失の責を免かれないとすべきである(最高裁判所第一小法廷昭和四一年六月二三日判決、民集二〇巻五号一一一八頁参照)。

ところで、新聞、テレビ等を媒体とする情報伝達の効果は、当該情報が多数の受取り手に、迅速かつ説得的に受け容れられるものであるだけに、発表を担当する者としては、関係者の人権を不当に侵害しないよう事件の真実をできる限り正確に発表すべきことはいうまでもない。そして、仮りに発表内容が事件の真実と著しく相違する場合においても、被疑者とされた者が生存しているときは、後日検察官の捜査の過程においてことが明らかとなり、又万一起訴されても、刑事訴訟法所定の手続のもとで充分防禦権を行使して反証活動を展開することによつて真相を明らかにすることができるのであるが、被疑者とされた者が死亡してしまつたときは、その者は右にみたような反証活動を行う余地は全く残されず、むしろ新聞、テレビ等による情報伝播によつて一挙に社会的有罪の刻印を押されてしまうという恐るべき結果を招来する。しかも、捜査の始動段階においては、一般に事件の実体形成がいまだ可変的であることも心しなければならないであろう。それ故、警察官が、すくなくとも本件のように被疑者と目される者が即死した事件につき捜査が開始されたばかりの段階において、しかも、スピード違反、駐車違反のような単純かつ定型的な交通事件の範疇に入れるには適当でない事件について、報道関係者に対し発表をする場合には、事件の真実をできるだけ正確に伝えるという要請は一層強く働らくものというべきである。ところが、本件において発表を担当した交通課長栗田勝次郎は自ら事件の捜査を主宰した者であり、同人は前記四、5のような判断の誤りに陥つたまま、これを直接報道関係者に伝えたものであつて、栗田課が発表の内容を真実と信ずるについて相当の理由があるとは認め難く、過失の責を免かれないものとしなければならない。本件において、発表を担当する者としては、衝突事故発生の事実を伝えるにとどめ、事故原因についての断定的判断の公表はさしひかえるべきであつたということができる。

六(因果関係について)

1  原告らは本件実況見分調書に虚偽の記載がされたことにより、先行訴訟事件において被告の地位に立たされて精神的苦痛を被つたうえ、弁護士費用についても無用の出捐を余儀なくされたと主張する<証拠>を総合すると、原告ら主張の先行訴訟事件があつて、昭和四七年一二月二七日言渡された第一審判決においては、本件実況見分調書の信用力をほとんど認めず、本件事故は、スバルのハンドル操作の誤りでセンターライン上に横向きになつたところへ、折りからセンターラインを越えて走行してきた同盟タクシーが激突したものといえるので、衝突がスバルの車線内で起つていることを考慮し、この両者の過失を比較すると、同盟タクシー八、スバル二の割合になるとの認定に立つて、同盟交通株式会社に対して原告らに合計七五二万三、六三〇円(うち弁護士費用合計六八万円)の支払いを命ずるとともに、原告らおよび同盟交通株式会社ならびに内田新治に対し、須崎卓の両親に七九二万円余、原告らに対し同盟交通株式会社に一〇万円余の各支払いを命じたことが認められる。

しかし、本件の如き交通事故においては、最終的な民事責任の有無に拘らず、衝突車両の各運転手が、同乗者あるいは、相手側車両の同乗者からそれぞれ損害賠償責任を追求されることとなるであろうことは、今日ではすでに常識の範囲内に含まれるのみならず、前記三で説明した本件事故の態様から見れば、鈴木正に一見して全く責任がないことが明らかであるとはいえないのであるから、先行訴訟事件の二つの事件において、原告らがいわれもなく被告の立場に立たされたものといい切ることはできない。換言すれば、前述の事故態様を前提とすれば、仮りに本件実況見分調書に事実に反する記載がなかつたとしても、なお民事責任の帰属について紛争を生じ、その最終的解決のために訴訟となつて、原告らが被告の立場に立たされることを避け難い案件であるといえるのであるから、現実にそうなつたこともやむをえないところである。従つて、本件実況見分調書に事実に反する記載がなされたことと先行訴訟事件の二つの事件で原告らが被告の立場に立たされたことによる精神的苦痛との間には、相当因果関係を認めることができないといわねばならない。

2  又、原告らは、本件実況見分調書の虚偽記載により、先行訴訟事件で認容された弁護士費用より合計五二万円多い弁護士費用を負担しなければならなかつたと主張する。

しかしながら、前述のように、本件実況見分調書は先行訴訟事件においてその信用力を認められなかつたのであつて、右調書の信用力を弾劾しようとする原告訴訟代理人の努力は、一応結実したのである。そして、先行訴訟事件の第一審判決中に認容された弁護士費用額の中には、本件実況見分調書の信用力弾劾に要した原告訴訟代理人の努力に対する評価も当然含まれているものと解されるものである。とすると、本件実況見分調書の弾劾に関する弁護士費用額はそれに尽きるものというべきであるから、原告らが、先行訴訟事件の第一審判決において認容された弁護士費用以上の報酬を原告訴訟代理人に負担することとなつたとしても、本件実況見分調書に事実に反する記載がなされたこととその費用増加との間には、相当因果関係がないものというべきである。

3  更に原告らは、栗田勝次郎の報道関係者に対する事件の発表により、社会的汚名をきせられ、名誉を毀損されたと主張する。

そして、原告鈴木正一本人尋問の結果によれば、本件事故後、テレビあるいは新聞の報道により、亡鈴木正の属していた学校、ボーイスカウトの関係および親戚筋から、ある程度非難の声が上がつたこと、両親たる原告らが肩身のせまい思いをしたことが認められ、右認定に反する証拠はない。叙上の事実関係のもとでは、栗田勝次郎の誤つた事件の発表と原告らに対する社会的非難に基づく精神的苦痛との間には相当因果関係が存するものと認めるのが相当である。

七(損害)

そこで、前記認定事実に基づき、原告らの精神的損害を金銭に評価すれば、原告ら各自一五万円と認めるのが相当である。

更に本件訴訟の弁護士費用として、訴訟の困難さ、本件の認容額等の諸事情を考慮して、原告ら各自五万円の弁護士費用を損害として被つたものと認めるのが相当である。

八(損害賠償義務の負担者について)

1  そこで世田谷署の警察官栗田勝次郎が警察権の行使にあたり、違法に原告らに加えた損害について、被告国あるいは被告東京都のいずれが国家賠償法第一条の責任を負うものであるかにつき検討する。

栗田勝次郎が、報道関係者に事実に反する事件の発表を行つたことは、外形的に観察すると、捜査権の行使に付随する広義の公権力の行使に当るものと解しうるから、原告らの前記の損害は、結局、司法警察の公権力の行使につき加えられた損害であるということができる。

2  ところで、一般に警察権とは、公共の安全と秩序の維持のために、人民に命令又は強制して、その自由を制限する作用をいうものであつて、その権力の基礎は、一般統治権に由来する。そして、一般統治権の主体は窮極において国であると解すべきであるから、警察権の行使につき人民に加えられた損害に対して国が損害賠償義務を負担するのが妥当であると考える余地がなくもない。しかしながら、一般統治権は、いかなる場合でも、国が主体となるものではなく、法律により、地方公共団体へ大はばな委譲が行なわれることが可能である。

従つて、警察権が一般統治権に基づく行政作用であることから直ちに国家賠償法第一条の賠償責任者を演繹できないのであつて、実定法上警察権がいかなる主体に帰属し、いかなる組織機構のもとに行使されるものかを検討しつつ、賠償責任者を判断すべきものである。

3  そこで、この点につき検討するに、現行憲法下の法制においては、地方自治の本旨に基づき、行政権の地方分散が促進され、それに伴つて警察権についても都道府県ごとに警察権を分散帰属させているものである。すなわち、警察法によれば、都道府県に、都道府県警察を置き、都道府県警察は当該都道府県の区域につき、警察の責務に任ずる(警察法第三六条)。都道府県警察の管理機関として都道府県知事の所轄の下に、都道府県公安委員会を置き(同法第三八条)、警察執行の機関として、都警察の本部として警視庁、道府県警察の本部として道府県警察本部を置き(同法第四七条)、都道府県の各区域を管轄する警察署を置く(同法第五三条)。そして、警視庁及び道府県警察本部の内部組織は、政令の定める基準に従つて、条例で定めることができ(同法第四七条第四項)、更に組織の細目は、都道府県公安委員会の規則で定めることができる(同法第五八条)。

4  もつとも、警察事務が、その性格上、国の利害と密接な関連を有するものであり、緊急事態に際しては、国が自ら治安上の責任を全うする必要があるとの理由から、国の警察管理機関として、内閣総理大臣の所轄の下に、国家公安委員会を置き、国家公安委員会に警察庁を置き(同法第四条第一項、第一五条)、警察庁長官及び警察庁管区警察局長は、都道府県警察に対して指揮監督権を有するが、それはあくまで同法第五条第二項所定の国の警察事務に関するものに限られている(同法第一六条第二項、第三一条第二項)のであつて、組織上及び指揮監督の系統上、都道府県警察は、自らの事務については、一定の独立性を有するものと解される。

5  又人事管理の面においても、都道府県警察の警視正以上の階級にある警察官は、一般職の国家公務員であるが警視以下の階級にある警察官は地方公務員とされ、地方公務員法及び条例、人事委員会規則の適用を受けるものである(同法第五六条)。

6  以上を要するに、実定法上、警察事務は、国の利害に密接に関連するもの以外は、原則として、都道府県の事務と規定されており、憲法の地方自治の原則に則り、警察権は、原則として都道府県に帰属しているものと解釈することができる。

従つて、国家賠償法第一条の解釈にあたつても、右警察権の帰属に関する実定法の規定の趣旨は十分尊重されるべきであつて、都道府県警察の警察官が行う、都道府県警察の事務と目される警察権の行使に伴う不法行為に関しては、当該地方公共団体が損害賠償責任を負うべきであると解するのが相当である。

原告らは、東京都の場合、国家公安委員会が、警視総監に対して指揮権、任免権を有しているところから、警視庁の警察事務につき原則的に国の事務である旨主張するが叙上の点から採用できない。

7  ところで、警察法第三条によれば、都道府県警察に要する費用で一定のものは政令で定めるところに従つて国庫が支弁する旨規定してあるところから、警察権が原則として都道府県に帰属するとしても、なお国が国家賠償法第三条第一項の責任を負担すると解する余地が生じる。しかしながら、同法第三七条第一項の各号に掲げられている項目に関する費用は、いずれも国家的見地から支弁することとするのが相当と解されるものであつて、都道府県警察と全く無関係であるとはいえないまでも、都道府県警察の組織上及び運用上の原則的な経費とはいいがたく、加えて、国庫が右の支弁を無制限かつ全面的に行うものではなく、政令によつて定められたものに限られるのであるから、単に警察法第三七条第一項の規定があることから、直ちに一般的に、都道府県警察の公権力を行使する警察官の不法行為につき、国が国家賠償法第三条の責任を負うと解することはできない。

8  叙上のことを前提として本件の場合を見れば、栗田勝次郎の本件加害行為は、司法警察権の行使に際して行なわれたものであつて、司法警察権の行使は、東京都の警察事務の重要な事務の一つであると解すべきことは明らかである。

9  そうすると、栗田勝次郎が、警察権を行使するにつき、過失により、違法に原告らに加えた損害は、専ら被告東京都が賠償するべきであつて、被告国には損害賠償責任は存しないものということができる。

なお、原告らは被告東京都に対する損害賠償請求の法的根拠として国家賠償法第三条を挙げるが、右は法的見解を表明したにすぎず、原告らの主張事実が証拠により立証されて、同法第一条所定の要件を充たす以上、被告東京都の責任を肯定することは妨げないものと考える。

九(結論)

以上によれば、原告らの被告東京都に対する本訴請求は、原告らに対し各二〇万円(合計四〇万円)及び各内金一五万円に対する昭和四八年一月一日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるから認容し、その余の請求は失当であるから棄却することとし、被告国に対する請求は全部失当であるから棄却することとし(訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を、仮執行の宣言につき、同法第一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(蕪山厳 井上康一  田康男)

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